志度野岐庄(読み)しとのきのしよう

日本歴史地名大系 「志度野岐庄」の解説

志度野岐庄
しとのきのしよう

信濃川右岸、現小千谷おぢや市東部から長岡市南部にかけて展開していた庄園。庄名には「志都野岐」「志土岐」「脱」「貫」など様々の漢字があてられる。初見は「吾妻鏡」文治二年(一一八六)三月一二日条に載せる関東知行国乃貢未済庄々注文で「二位大納言家領志度野岐庄」とある。同年の大納言は源定房と三条実房であるが、ここではその前年に出家した池大納言平頼盛かとも思われる。次いで高橋宮尊守親王遺領目録(門葉記)には、摂津貴志きし(現兵庫県三田市)などとともに大谷姫宮(順徳院皇女)家領であった「越後国志都野岐庄」が、嘉禄年中(一二二五―二七)に天台座主尊性法親王に譲進されて天福元年(一二三三)宣旨が発せられ、その没後、天台座主尊守法親王に門跡領として伝えられるとある。延応元年(一二三九)一二月二五日には四条天皇宣旨(同書)が出されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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