御園宇村(読み)みそのうむら

日本歴史地名大系 「御園宇村」の解説

御園宇村
みそのうむら

[現在地名]東広島市西条さいじよう御薗宇みそのう

西条盆地の中央に位置する。黒瀬くろせ川が中央を南流し吾妻子あづまこ滝を落ちて田口たぐち村に入る。西はかがみ山、八幡はちまん山など比高一〇〇メートル余の比較的ゆるやかな山を境に下見したみ村に、北東助実すけざね村に接する。黒瀬川両岸に幅約一・五キロの平地が広がる。

文明七年(一四七五)一一月二四日付毛利豊元譲状(毛利家文書)によると、西軍(大内方)に寝返った毛利氏は鏡山城に押寄せた武田氏らを退けた恩賞として御薗宇など東西条とうさいじようの地を大内政弘から与えられている。大永三年(一五二三)八月一〇日付安芸東西条所々知行注文(平賀家文書)には「御薗宇 三百貫宛 毛利知行」とは別に「上戸村 百貫 (野間)吉浦知行」とみえ、黒瀬川東岸の字上戸うわどが独立した村となっている。弘治二年(一五五六)一〇月二〇日付毛利隆元宛行状(「閥閲録」所収小寺忠右衛門家文書)には「西条之内勝屋廿五貫」などを小寺元武の給地とするとあるが、字勝谷しようやは上戸に南接する地域であり、中世の御薗宇の範囲は近世の村域には必ずしも一致しなかった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報