徐謙(読み)じょけん(英語表記)Xú Qiān

改訂新版 世界大百科事典 「徐謙」の意味・わかりやすい解説

徐謙 (じょけん)
Xú Qiān
生没年:1871-1940

中国の政治家。安徽省歙(しよう)県の出身。字は季竜。清朝末期に司法関係の官職歴任。1911年国民共進会を組織し,12年中華民国成立後,同盟会と合併して国民党を組織。17年信教自由総会会長,18年広東軍政府司法部長。20年以後馮玉祥(ふうぎよくしよう)に接近し,25年国民党中央執行委員,27年武漢政府のもとで漢口,九江のイギリス租界回収に成功。国共分裂後下野し,33年福建人民政府に参加して失敗したが,37年以後抗日戦争に参加。香港で没した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「徐謙」の意味・わかりやすい解説

徐謙
じょけん
Xu Qian

[生]同治10(1871).9.10. 安徽,歙
[没]1940.9.26. ホンコン
中国の政治家。清朝時代から司法関係職を歴任し,中華民国成立後国民党に入党。 1917年広東政府で孫文の秘書長となり,翌年司法部長兼任。 19年パリ講和会議に広東代表として出席し,国共合作以後親ソ容共的な路線をとり,27年国民政府の武漢移転とともに,排英運動を指導して,漢口,九江イギリス租界の回収に成功した。第1次国共合作が破れて失脚モスクワに行き,帰国後の 33年福建革命に参画,のちホンコンに逃れ,38年国民参政員に選ばれた。

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