彦部村(読み)ひこべむら

日本歴史地名大系 「彦部村」の解説

彦部村
ひこべむら

[現在地名]紫波町彦部

北上川左岸、同川支流の彦部川流域に開けた平坦地と、南東方に連なる山間丘陵地を占める。東は佐比内さひない村・赤沢あかざわ村、西は北上川を隔て南日詰みなみひづめ村・犬淵いぬぶち村、南は稗貫ひえぬき新堀にいぼり(現石鳥谷町)、北は大巻おおまき村。仁治二年(一二四一)九月一〇日の陸奥彦部郷田数目録(彦部家譜)によれば、東彦部一〇六町六反大、うち湊江分七五町・大高名一八町五反・松原崎七町五反・小重名五町六反、西彦部九三町三反小、うち東彦部山入二七町七反半・大松四二町四反半・小松二三町一反小。文書の内容に疑問はあるが彦部氏が当地名字の地とするので、この目録を家譜に記したことは間違いなかろう。系図などによれば、滝口惟光の孫、光朝が彦部郷に下向し、彦部太郎と称したのが初めといわれる。彦部氏は高階を姓とし足利氏譜代の家柄で、当地方を領した足利氏一族斯波氏との関係が推定される。

寛永四年(一六二七)の南部利直知行宛行状(三翁昔語)に村名がみえ、彦部村のうち鳩居三八石余と新屋敷八石余の合計四六石余が、八戸弥六郎直義(遠野南部氏)知行地となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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