建穂寺跡(読み)たきようじあと

日本歴史地名大系 「建穂寺跡」の解説

建穂寺跡
たきようじあと

[現在地名]静岡市建穂

現建穂に明治三年(一八七〇)まで存在した寺。現在は観音堂が残るのみ。寺伝(「建穂寺観音堂記」駿国雑志)によれば、当寺は天武天皇の時代に道昭によって創建され、養老七年(七二三)行基によって中興されたという。天平七年(七三五)九月に右大臣藤原武智麿が建穂寺とその守護神馬鳴まなり大明神(建穂神社)とに私田五町を寄進、貞観元年(八五九)一月二七日に馬鳴神社が正五位下に叙せられたという(駿国雑志)。さらに建穂寺編年(見性寺蔵)によれば、保元三年(一一五八)巌実寺僧行胤が願主となって大般若経が当寺で書写されたと記されている。これらの記述はいずれも確証はないが、その寺歴の古いことをうかがわせる。

吾妻鏡」の承元四年(一二一〇)一一月二四日条には「建(穂)寺鎮守馬鳴大明神」に合戦神託があり、鎌倉幕府に注進されたことが記されており、この頃には駿河国の代表的な寺院として周知されていたと思われる。仁治三年(一二四二)に浄命らが当寺で大般若経を書写したことが、久能くのう寺旧蔵の大般若経奥書(鉄舟寺蔵・宮内庁書陵部蔵)にみえる。また嘉禎元年(一二三五)に駿河国で生れた禅僧南浦紹明が、幼少の時代に当寺の浄弁について仏法を学んだことがその伝記(「円通大応国師塔銘」続群書類従)に記され、当寺がこの地方における学問所としての性格を有していたことを示している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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