庄金剛寺村(読み)しようこんごうじむら

日本歴史地名大系 「庄金剛寺村」の解説

庄金剛寺村
しようこんごうじむら

[現在地名]庄川しよう

隠尾かくりよう村の北、庄川東岸扇頂部の河岸段丘上にある。北は三谷みたに村。東の山間から流れ出した広谷ひろたに川がだん城跡の北で庄川に落ちる。近世初めは庄川上流側の庄村と下流側の金剛寺村の二村からなり、元和年中(一六一五―二四)一村となったという(元禄一四年「村名由来書」川合家文書)。村名は庄村は雄神おがみ庄に、金剛寺村は金剛寺という寺にちなむとされる。字広谷にある雄神神社背後の台地上には段の城、さらに登った三条さんじよう山に千代様ちよがためし城があり、礪波平野を一望するとともに、庄川の渡渉点でもある要衝の地であった。正保四年(一六四七)の「越中道記」では井波いなみ道が三谷村から庄川に沿って通じ、対岸金屋岩黒かなやいわぐろ村との間に藤懸ふじかけ渡とよばれる舟渡しがあった。金剛寺村から庄村までは四町一二間、庄村より金屋村までは一里三町の距離にある。永正一六年(一五一九)正月一一日の小柴吉定等連署寄進状および同日付石黒又次郎寄進状(ともに「石黒家由緒書」石黒伝六家蔵)によれば、雄神宮の北にある「雄神庄木並ノ郷常縁」のうち四〇刈一五俵の地が日蓮宗本長ほんちよう寺の長寿院(現石川県金沢市)に寄進された。木並の名は天平宝字三年(七五九)一一月一四日の礪波郡伊加流伎開田地図(正倉院蔵)に「木波道」とみえている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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