広谷毘沙門堂(読み)ひろたにびしやもんどう

日本歴史地名大系 「広谷毘沙門堂」の解説

広谷毘沙門堂
ひろたにびしやもんどう

[現在地名]秋芳町大字秋吉 広谷

秋芳あきよし洞の南、広谷の東方の山腹にあり、本尊毘沙門天木喰(五行明満)の作。

寛政九年(一七九七)七月七日、木喰五行は河原かわら宿(現美祢市)より赤間関あかまがせき街道(中道筋)を通って広谷に着き、庄屋左兵衛の世話をうけ八月一五日まで毘沙門堂に滞在した(御宿帳)。この間に木仏五体、自刻像一体、遺幅一幅を残した。うち広谷の毘沙門堂には、中央に本尊毘沙門天(丈一メートル)、左に大黒天(丈八〇センチ)、右に自刻像(丈八〇センチ)の三体を安置するが、大正一二年(一九二三)の火災で表面が黒く焦げている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報