広小路(愛知県名古屋市)(読み)ひろこうじ

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

広小路(愛知県名古屋市)
ひろこうじ

愛知県名古屋市中村区笹島町から中区栄(さかえ)付近までの繁華街清洲(きよす)越しによってつくられた名古屋の城下町の南縁にあたり、その外側は松原田園などが続く寂しい所であった。万治(まんじ)大火(1660)後に久屋(ひさや)町―下長者町間の道幅を3間(約5.4メートル)から15間(約27メートル)に拡幅広小路が誕生した。濃尾(のうび)地震(1891)では、栄町付近の県庁、市役所など多くの官公署は全半壊、広小路筋には被災者の避難小屋が急造された。その後広小路が急速に都市化し繁栄したのは1898年(明治31)笹島―久屋町間に市電が開通してからである。市電は1971年(昭和46)に廃止されたが、伏見通との交差点に地下鉄の伏見駅、久屋通との交差点近くに栄駅があり、現在も市の中心街で、銀行の支店やデパートが並ぶ。

[伊藤郷平]


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