幸山城跡(読み)こうざんじようあと

日本歴史地名大系 「幸山城跡」の解説

幸山城跡
こうざんじようあと

[現在地名]山手村西郡、清音村三因

標高一六四メートルの山頂に位置し、三方絶壁をなす。西方高梁たかはし川が流れ、北方を旧山陽道が通り、水陸の要衝を占める。「高山」とも記された。「備中府志」には鎌倉末期に庄左衛門四郎資房が築城し、のち細川氏被官で守護代の石川氏が在城したという。遺構は二本の大堀切によって丘尾を切断し、郭を二分する。東の丸は約七五〇平方メートルの半円形をなす。主郭と推定される西の丸はほぼ同面積の不整方形をなし、両郭に土塁が残る。

天文二二年(一五五三)一〇月の幸山表の合戦で、三村家親に属していた渡辺盛忠は敵将荒木七郎三郎を討ったという(「八幡旧記」渡辺文書)。毛利氏の備中進出後は前線基地としての役割をもち、「萩藩閥閲録」に収める毛利元就・輝元や小早川隆景らの書状によって動向が知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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