平原城跡(読み)ひらはらじようあと

日本歴史地名大系 「平原城跡」の解説

平原城跡
ひらはらじようあと

[現在地名]小諸市平原

平原村字じよう地籍から八満はちまん(現小諸市八満)にかけて築かれた平山城で、平原氏の居城。数条の深堀をめぐらした東西二五間、南北九〇間ほどの跡が残り、郭跡はウリコヤ城・アキハ城・タイコノ城とよばれている(長野県町村誌)

大井おおい庄地頭大井光長の六男光盛がこの地に居を構えたといわれるが(四鄰譚藪)、この時築城されたかどうかは不明である。この城が文献上に現れるのは、武田氏の佐久侵入後で、「高白斎記」は天文一八年「九月大朔日、鷺林ニ御陣スヱラル、四日平原ノ宿城放火」と記し、城将平原全真は武田に下った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報