平出新田村(読み)ひらいでしんでんむら

日本歴史地名大系 「平出新田村」の解説

平出新田村
ひらいでしんでんむら

[現在地名]牟礼村大字平出

平出村の南部元禄郷帳では既に二七四石余の新田開発をみているが、享保九年(一七二四)の平出村書上帳(平井誠氏蔵)に、「当村より新田(中略)本村の南、高二百四拾七石二斗八升八合三才、御免定未之年より分ニ申請候」とみえ、未年の享保一二年から別個に年貢割付を受けることとしているので、この頃の分村とみられるが、天明七年(一七九五)の本多豊後守領知郷村高辻帳(伊藤長治氏蔵)や天保郷帳でも、なお平出村高に新田分として含まれており、完全な独立ではなく、明治八年(一八七五)合併にも「平出新田」としている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報