幡田郷
はたごう
「和名抄」に「幡田」と記され、訓を欠く。「新編常陸国誌」に「按ズルニ、今其名ヲ失ス、旧記地図等ヲ以テ考フルニ、中世以来称スル所ノ戸田郷蓋古ノ幡多郷也」とあり、比定地は定かでないが、郷域は現那珂湊市の海門町など旧湊地区と平磯町・磯崎町・部田野・阿字ヶ浦町、勝田市馬渡の一帯とされる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
世界大百科事典(旧版)内の幡田郷の言及
【那珂湊】より
…大化(645‐650)前代は仲国(なかのくに),大化以降は常陸国那珂郡に属し,平城宮出土の木簡によればワカメが貢進されている。古代には幡田(はた)郷,中世には戸田野(へたの)郷と称した。1426年(応永33)から江戸氏の,1590年(天正18)から佐竹氏の支配に属し,佐竹氏の秋田移封後は水戸藩領となる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」