市別符(読み)いちのべつぷ

日本歴史地名大系 「市別符」の解説

市別符
いちのべつぷ

正安二年(一三〇〇)三月六日の後深草天皇譲状(大覚寺文書)に「はりま(播磨)いち(市)の別符」とみえ、妃藤原相子に譲与されている。以後持明院統に伝領された。播磨国衙別納一〇ヵ所の一つであるが、伏見宮家領ではない。永享一二年(一四四〇)八月二八日に伏見宮貞成親王が作成した伏見宮家領目録案(榎戸文書)に市別符はみえない。応永五年(一三九八)の崇光上皇の死去後、貞成の父栄仁親王へ伝わるべき所領は後小松天皇によって没収された。播磨国衙別納の地も七ヵ所は還付されたものの、市別符など三ヵ所は戻らなかったのである。「看聞日記」応永二六年二月二三日条によると、後小松上皇が市別符を栂尾殿義仁親王の菩提料所としてその子東南院宮観覚親王に与えるとの情報があり、貞成は上皇ならびに室町幕府将軍足利義持に返還を嘆願している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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