川澄村(読み)かわすみむら

日本歴史地名大系 「川澄村」の解説

川澄村
かわすみむら

[現在地名]下館市川澄

小貝こかい川右岸に位置し、北は大関おおぜき村。中世には常陸大掾氏の一族で、小栗おぐり(現真壁郡協和町)城主であった小栗重政の子が当村に土着したといわれ、「新編常陸国誌」には「川澄氏ハ真壁郡川澄村ヨリ起ル、小栗重政ノ二子重顕、川澄又次郎ト称ス」とある。文明一〇年(一四七八)水谷勝氏が下館に築城後、同氏の支配地となる。江戸初期に下館藩領となり、元和九年(一六二三)の水野谷様御代下館領村々石高并名主名前控(中村家文書)や寛永一六年(一六三九)の下館領五万石村々石高牒(田宮家文書)に、村高一〇五四・三五四石とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

五節舞

日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...

五節舞の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android