川原忠次郎(読み)かわはら・ちゅうじろう

朝日日本歴史人物事典 「川原忠次郎」の解説

川原忠次郎

没年:明治22.1.26(1889)
生年嘉永2.4(1849)
明治期の肥前有田(佐賀県有田町)の窯業家。明治6(1873)年ウィーン万国博に渡航し,ボヘミア石膏模型の製法と錦付油塗の使用を習得。帰国後,内務省勧業寮で全国の陶工オーストリア式陶業技術を伝授,普及させた。12年有田に帰り,精磁会社の設立に参加。16年アムステルダム万国博に渡欧,フランスで製陶機械を買い付け,20年稼働させた。農商務省からの補助を得た精磁会社の機械導入は,原料処理工程から成型工程に至る完全な機械化を実現し,陶業の零細手工業生産から近代的工場生産への移行の契機となった。<参考文献>『有田町史』商業編2

(山形万里子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「川原忠次郎」の解説

川原忠次郎 かわはら-ちゅうじろう

1849-1889 明治時代の窯業家。
嘉永(かえい)2年4月生まれ。佐野常民にしたがい,納富(のうとみ)介次郎らとともに,ウィーン万博を視察。オーストリアなどの製陶工場で機械製作,石膏(せっこう)使用法などをまなび,帰国後,東京の製陶試験場で窯業家を育成。のち手塚亀之助らと精磁会社をおこす。明治22年1月26日死去。41歳。肥前有田(佐賀県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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