嶋ノ庄村(読み)しまのしようむら

日本歴史地名大系 「嶋ノ庄村」の解説

嶋ノ庄村
しまのしようむら

[現在地名]明日香村大字島庄しまのしよう

おか村の南、南淵みなぶち(稲淵川)冬野ふゆの川合流地点に立地する。「日本書紀」推古天皇三四年の条に「大臣(蘇我馬子)薨せぬ。仍りて桃原墓に葬る」とある。馬子は飛鳥川の傍らに家を建て、その庭に小さな池をつくったので、嶋大臣とも称した。当村は馬子の邸所在地と推定され、桃原ももはら墓にあたると考えられる石舞台いしぶたい古墳が所在する。また「万葉集」の「嶋之榛原」、「日本書紀」皇極天皇三年六月条の「嶋の藪原」の地であろう。すでに同書雄略天皇七年の条には「上桃原・下桃原」の地名があり、桃原墓を石舞台古墳とすればこの付近は桃原といったらしい。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報