岸俊男(読み)きし としお

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岸俊男」の解説

岸俊男 きし-としお

1920-1987 昭和時代後期の日本史学者。
大正9年9月15日生まれ。昭和44年母校京大の教授となる。のち愛知学院大教授,奈良県立橿原(かしはら)考古学研究所所長をつとめる。政治経済史を専門とし,都城制木簡(もっかん)・金石(きんせき)文の研究などによって戦後の古代史学界を先導した。昭和62年1月21日死去。66歳。京都出身。著作に「日本古代政治史研究」「日本古代宮都の研究」など。

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世界大百科事典(旧版)内の岸俊男の言及

【江田船山古墳】より

…銘文の解読の基礎は福山敏男が1934年につくり,最初の部分を〈治天下□□□歯大王世□□〉と読んで,蝮(たじひの)宮に天の下治(しろし)めす弥都歯(みずは)大王,すなわち反正天皇にあてた。この福山説にしたがって,大刀を438年ころの製作と考えるのが定説であったが,78年に埼玉(さきたま)稲荷山古墳出土の鉄剣に金象嵌銘が発見されたとき,岸俊男らの解読の際に再検討が加えられ,これはむしろ稲荷山銘と同じく獲加多支鹵(ワカタケル)と読めることが示され,雄略天皇の時代の製作とみる説が有力になった。内容の概略は〈獲□□□鹵大王の世に,事(つか)える典曹人の无[利][工]が大錡(かま)を用いて好い刀を作った。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」