岩永マキ(読み)いわなが・まき

朝日日本歴史人物事典 「岩永マキ」の解説

岩永マキ

没年:大正9.1.27(1920)
生年嘉永2.3.3(1849.3.26)
明治大正期の社会事業家。肥前国浦上村(長崎市)生まれ。先祖代々の切支丹。明治2~6(1869~73)年,浦上教徒事件岡山藩に配流され,苦難の生活を送り,帰郷。7年,浦上をおそった天然痘,台風などの災害に際しド・ロ神父と共に救護活動に従事。その際生じた孤児棄児の養育施設(のちの浦上養育院)を,同志の女性数名と共に開き,生涯を孤児養育と救貧に捧げた。<参考文献>生江孝之『日本基督教社会事業史』,五味百合子編著『続・社会事業に生きた女性たち』

(高橋富子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岩永マキ」の解説

岩永マキ いわなが-マキ

1849-1920 明治-大正時代の社会事業家。
嘉永(かえい)2年3月3日生まれ。肥前彼杵(そのき)郡(長崎県)浦上村の隠れキリシタン農家に生まれる。浦上信徒弾圧事件で,明治2年備前岡山藩に配流(はいる)される。6年帰郷し,翌年ド=ロ神父の指導により孤児の養育施設(のちの浦上養育院)をひらく。8年浦上修道院長。大正9年1月27日死去。72歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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