岡本帰一(読み)おかもときいち

日本大百科全書(ニッポニカ) 「岡本帰一」の意味・わかりやすい解説

岡本帰一
おかもときいち
(1888―1930)

童画家。兵庫県生まれ。油絵を志して初め白馬(はくば)会に入り、黒田清輝(せいき)の指導を受けた。1915年(大正4)『アラビアン・ナイト』(冨山房(ふざんぼう))の挿絵を描いて好評を得、その後童画家としての道を歩んだ。グリムアンデルセンイソップなど童話、伝説の挿絵の筆をとって、挿絵、童画の世界に新しい芸域を築いた。画風は的確なデッサンを基礎に、線描を生かしたもので、幼い者への愛情を込めた、明るい夢を誘うものであった。大正末から昭和初めにかけて雑誌『コドモノクニ』に発表した作品はとくに有名である。

[永井信一]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡本帰一」の解説

岡本帰一 おかもと-きいち

1888-1930 大正-昭和時代前期の洋画家,童画家。
明治21年6月12日生まれ。白馬会葵橋(あおいばし)洋画研究所で黒田清輝(せいき)に師事。大正元年ヒュウザン会の結成に参加,出品した。のちに挿絵をおおくえがき,「コドモノクニ」「赤い鳥」などに童画を発表。昭和5年12月29日死去。43歳。兵庫県出身。童画集に「岡本帰一傑作集」。

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世界大百科事典(旧版)内の岡本帰一の言及

【絵本】より

… ついで大正中期に模範家庭文庫を出した冨山房で,楠山正雄の《画(え)とお話の本》3冊(1925‐26)を出したが,その画家たちは,大正中期に輩出した絵雑誌のプールに負っている。1914年に《子供之友》,21年に《コドモノクニ》,23年に《コドモアサヒ》が出て,岡本帰一,清水良雄,武井武雄,川上四郎,初山滋,村山知義,本田庄太郎たちがそれらによって活躍した。武井武雄は,彼と彼の影響に立つ画家たちの様式性の強い画風を立てて,24年に童画と呼ぶに至り,27年に日本童画家協会を設立,対立的に新ニッポン童画会もできたが,両会とも写実をもたない安易な類型に陥ったにすぎなかった。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」