岐波村(読み)きわむら

日本歴史地名大系 「岐波村」の解説

岐波村
きわむら

[現在地名]宇部市大字東岐波ひがしきわ・大字西岐波にしきわ

周防国吉敷よしき郡の南西端に位置し、北は井関いぜき(現吉敷郡阿知須町)、西は宇部村・川上かわかみ村・車地の間地くるまじのかんちと接し、南と東は周防灘に面する。地方と、岐波・丸尾まるお床波とこなみの浦方があり、萩藩領であるが現宇部市域内ではただ一村周防国の小郡宰判に属する。

中世までは白松しらまつ庄の南半を占め、荘園領主などは不明であるが「周防南方八幡宮祭礼旧記」によれば、正安三年(一三〇一)一一月の項に「りやうけ御方」「ちとう方」「公文御方」という語があるので領家・地頭・公文の存在を知ることができる。また同書には「うけかわ(請川)」「王子」「片倉」「北原」「沢波」「床並」「花その」「古殿」「山村」「吉沢」「吉田」など現東岐波・西岐波の内にある字名が記される。

慶長五年(一六〇〇)検地帳には佐山さやま(現山口市)阿知須あじす(現阿知須町)などとともに「白松庄」と記され、同一五年の検地帳でも「白松」として、総石高六千二八七石余、うち田五八八町余で四千八四五石余、畠一六五町余で五五九石余、百姓屋敷三九六、小物成一一石余、浦屋敷一三六で浦浮役二九四石余、塩浜方三八〇石とある。

寛永二年(一六二五)八月一三日付の阿川毛利家の御配所付立(「閥閲録」所収)によれば、吉敷郡白松村のうち二一二石余を毛利飛騨守が、また同日付の福原家文書では同村のうち三千一二二石余を福原元俊が与えられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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