山極 勝三郎(読み)ヤマギワ カツサブロウ

20世紀日本人名事典 「山極 勝三郎」の解説

山極 勝三郎
ヤマギワ カツサブロウ

明治・大正期の病理学者 東京帝大教授。



生年
文久3年2月23日(1863年)

没年
昭和5(1930)年3月2日

出身地
長野県上田市

旧姓(旧名)
山本

学歴〔年〕
東京帝大医科〔明治21年〕卒

学位〔年〕
医学博士

主な受賞名〔年〕
ソフィー賞,帝国学士院賞〔昭和4年〕「世界最初の発癌実験」

経歴
明治24年東京帝大助教授となったあと、25年からドイツに3年間留学して病理学者のウイルヒョーに師事。帰国後は病理学教授となり、大正12年定年退官するまで29年間務めた。この間、師のがん慢性刺激説を証明するため、ウサギの耳にコールタールを長期間塗り続け、大正4年ついに世界で初めて人工発がんに成功した。同時期にデンマークヨハネス・フィーゲル教授がネズミゴキブリを食べさせ、胃がんをつくったと主張。2人はノーベル賞医学生理学賞の最終候補となり、フィーゲルが同賞を受賞。(のちにフィーゲルの“ネズミの胃がん”はがんでなかったことが判明)。その間、雑誌「癌」を創刊するなど、終生がんの研究に力を注いだが、生涯貧苦に悩まされた。明治31年の台湾のペスト流行の際は現地出張調査し、その成果をまとめた「ペスト論」を残している。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「山極 勝三郎」の解説

山極 勝三郎 (やまぎわ かつさぶろう)

生年月日:1863年2月23日
明治時代;大正時代の病理学者。日本病理学会初代会長
1930年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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