新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「山川 健次郎」の解説
山川 健次郎
ヤマカワ ケンジロウ
- 肩書
- 枢密顧問官,東京帝大総長
- 生年月日
- 安政1年7月17日(1854年)
- 出生地
- 陸奥国若松(福島県会津若松市)
- 学歴
- エール大学(土木工学)
- 学位
- 理学博士〔明治21年〕
- 経歴
- 会津藩士の家に生まれ、藩校日新館に学び、またフランス語を沼間守一らに学ぶ。その後明治3年に北海道開拓使の推挙で、ロシア・米国に留学。8年帰国後、9年に東京開成学校教授補(物理学)になる。14年東京大学理学部教授に就任。21年最初の理学博士取得者となる。以後26年帝大理科大学(東大理学部の前身)学長、34年東京帝大総長、40年明治専門学校総裁、44年九州帝大総長、大正2年再び東大総長、3年京都帝大総長を兼任。また、明治37年に勅選貴院議員、大正4年男爵を授けられ、12年枢密顧問官となり、昭和6年まで務めた。物理学を修める者の心得として「一に数学、二に数学、三に数学」と喝破したのは有名。
- 没年月日
- 昭和6年6月26日
- 家族
- 兄=山川 浩(政治家・陸軍少将) 妹=大山 捨松(大山巌元帥夫人・社会奉仕家)
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報