山中宿(読み)やまなかしゆく

日本歴史地名大系 「山中宿」の解説

山中宿
やまなかしゆく

紀州街道の宿駅で、やま(現和歌山市)の北麓の山中村に置かれた。当宿辺りの紀州街道は中世には熊野街道と称されていたが、それ以前にも和泉国と紀伊国を結ぶ要路の一であった。「日本後紀」延暦二三年(八〇四)一〇月一三日条に、桓武天皇が紀伊国行幸の帰途「自雄山道、還日根行宮」とあり、この道を通っている。そのほか「為房卿記」永保元年(一〇八一)九月二五日条に和泉国から向かって「戊申々剋着紀伊国雄山口」とあり、「台記」久安四年(一一四八)三月一八日条に「貝吹上浜・和歌浦、帰羽崎」、一九日条に「経雄山、着天王寺」、「御室御所高野山御参籠日記」久安五年五月五日条には「自新家宿、越雄山、於填崎乗船」などとある。なお、この間、都と南海道諸国を結ぶ官道南海道として用いられた時期もある(→南海道熊野詣が盛んになると街道沿いに熊野九十九王子社が祀られたが、当宿のある山中村域に比定される王子として馬目うまめ王子・地蔵堂じぞうどう王子がある。「後鳥羽院熊野御幸記」建仁元年(一二〇一)一〇月八日の記事に一之瀬いちのせ王子(跡地は現泉南市)参詣後「次参ウハ目王子、次参地蔵堂王子」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報