尾浜村(読み)おばまむら

日本歴史地名大系 「尾浜村」の解説

尾浜村
おばまむら

[現在地名]相馬市尾浜

原釜はらがま村の東に半島状に位置し、北は太平洋、南は松川まつかわ浦に臨む。大部分が台地上に位置するが、一部に平坦地がある。東端岬から海を隔てて南へ延びる磯部いそべ村の長洲ながすの磯は、東の太平洋と西の松川浦を隔絶する。鵜ノ尾岬の南崖下には飛鳥あすか湊があり、みなみ湊ともいわれた。現在は半島中ほどに水路が開削されており、尾浜は東西に分断されている。総士禄高調の文禄二年(一五九三)の項にみえる藤田蔵人は、当村と馬場野ばばの村において六貫九〇五文の采地を有していた。

正保郷帳では田方六〇石余・畑方五五石余。

尾浜村
おはまむら

[現在地名]尼崎市尾浜町一―三丁目・名神町めいしんちよう一―三丁目・東難波町ひがしなにわちよう一丁目・南塚口町みなみつかぐちちよう五―六丁目・久々知西町くくちにしまち一丁目

三反田さんたんだ村の東に位置し、村領内を庄下しようげ川が南流する。慶長国絵図には宿久しゆく村とみえ高五六六石余。領主変遷杭瀬くいせ村に同じ。正保郷帳に尾浜村と記され、天明八年(一七八八)には家数四七・人数二三九、牛一五、高札一。氏神八幡宮、支配は光明こうみよう寺。寺三、名月女めいげつひめ塚がある。庄屋一・年寄二(「巡見使通行用留帳」岡本家文書)。氏神の八幡神社境内に延慶三年(一三一〇)頃と推定される宝篋印塔があり、名月姫の墓と伝えられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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