小石川村(読み)こいしかわむら

日本歴史地名大系 「小石川村」の解説

小石川村
こいしかわむら

[現在地名]文京区白山はくさん三―四丁目・小石川三―五丁目・大塚おおつか三―六丁目・千石せんごく二―三丁目など

小石川(上流では谷端川)流域に発達した村で、村域は同川流域の低地および東岸の小石川台、西岸小日向こびなた台の東半に展開。江戸時代、江戸城外堀(江戸川・神田川)の北続きの地にあたった一帯は、江戸市中の拡大に伴って順次市街化が進み、村内は武家屋敷・町人町屋・寺社境内地などに転化、江戸後期になると、耕地は村の北西端部と小石川沿いのわずかな地のみとなった。江戸初期には東はおおむね中山道を境として本郷村・駒込こまごめ村、北は巣鴨すがも村、北西は雑司ヶ谷ぞうしがや村、西から南西関口せきぐち村・小日向村などであった。

天正一八年(一五九〇)徳川家康が江戸に入った頃、小石川の流域一帯は大沼沢地で、小石川御殿(白山御殿)が築かれた明暦二年(一六五六)頃まで通船もあったという(御府内備考)。慶長一八年(一六一三)伝通でんづう院に村内で高三〇〇石が付されている。元和八年(一六二二)村域の一部は水戸藩徳川頼房、安藤重信(備後福山藩主)などの大名家の拝領屋敷に割られた。翌九年残る村地の大半が伝通院領となる(以上「風土記稿」「御府内備考」など)。田園簿では田高二〇六石余・畑高三八〇石余、うち五三九石余は伝通院領、四八石は旗本木村領(木村領はのちに若干高が減少するが幕末まで維持された)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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