小町村(読み)こまちむら

日本歴史地名大系 「小町村」の解説

小町村
こまちむら

[現在地名]鎌倉市小町一―三丁目・御成おなり町・おうぎやつ一丁目

雪下ゆきのした村の南、小町大路こまちおおじ若宮わかみや大路に沿った村で、東になめり川が流れ、東と南は大町おおまち村、西は扇ヶ谷村に接する。小町とは大町に対する呼称で、中世の鎌倉の商工業活動の中心的地域の一つであった。

「吾妻鏡」承元四年(一二一〇)一一月二〇日条に、北条泰時の小町御亭と近隣御家人の宅が焼亡したとあり、建長三年(一二五一)一二月三日・文永二年(一二六五)三月五日、鎌倉中の商業地域が七ヵ所または九ヵ所に指定されたとき、いずれの場合も小町が加えられている。

小町村
こまちむら

[現在地名]岸本町小町

小野おの村の北西越敷こしき山東麓の台地上に位置し、村の東端は急斜面の崖で、崖下を日野川が北流する。北東部を佐野さの川が流れ、集落は村の東部中央の谷間にある。隠岐に流された祖父小野篁を慕ってやってきた小野小町が当地で没したとの伝説が残り、集落の北西約三〇〇メートルの丘陵上に小町の墓(五輪塔)ならびに供養塔と称する石碑がある。また集落西方の陣場じんば山には大陣場・小陣場とよばれる約九〇基の五輪塔がある。

小町村
こちようむら

[現在地名]足助町小町

矢作川の支流阿摺あすり川に沿い、東は万根まんね(現旭町)、南は切山きりやま村、西は御蔵みくら村、北は萩平はぎのひら(現旭町)に接する。中央部を阿摺川が西に向かって流れ、谷地形を形成する。街道は矢作川左岸から現旭町方面への重要路線として古くから開けており、阿摺川右岸の山麓を現県道御蔵―平沢線が通る。集落は街道沿いを中心に点在。縄文時代の遺跡として、市場いちば遺跡・木用ぼくよう遺跡・大貝津おおがいと遺跡がある。いずれも時期不詳であるが、阿摺川右岸の南面した山麓の傾斜地に立地。大貝津遺跡は、古墳・平安・鎌倉時代の遺物も出土する。

小町村
こまちむら

[現在地名]輪島市上山町かみやままち

西二又にしふたまた村の南、男女滝なめたき川の支流小町川流域山間に立地。正保郷帳に村名がみえ、高一四石余、田方四反・畑方五反余。承応三年(一六五四)の村御印では同高、免五ツ五歩(能登奥両郡収納帳)。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の高二〇石、免五ツ五歩、小物成は山役一八匁・苦竹役二匁・漆役二匁、鳥役一匁(出来)であった(三箇国高物成帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報