小仏・駒木野関所跡(読み)こぼとけ・こまぎのせきしよあと

日本歴史地名大系 「小仏・駒木野関所跡」の解説

小仏・駒木野関所跡
こぼとけ・こまぎのせきしよあと

[現在地名]八王子市裏高尾

近世の甲州道中筋に置かれた関所の跡。戦国期には小仏峠にあったとされ、数次にわたる移転があった。これに伴い関所の名称にも混乱がみられた。小仏関跡として関所役人役宅跡とともに国指定史跡。永禄三年(一五六〇)八月、越後の長尾景虎(上杉謙信)は上野国厩橋うまやばし(前橋城、現群馬県前橋市)出馬、関東遠征を開始するが、この長尾軍に属した岩付いわつき(現埼玉県岩槻市)城主太田資正は翌年二月には景虎とともに武蔵の霊場である高尾たかお山麓の小仏谷に制札を掲げ、「於武州小仏谷、関越諸軍勢、濫妨狼藉堅停止」としている(同年二月日「長尾景虎制札」薬王院文書など)。天正八年(一五八〇)八王子城主北条氏照が、峠上にあった関所を山麓の駒木野に移したとされる。徳川家康の関東入部後、幕府の甲斐に対する防衛上の重要な関所となった。「武蔵名勝図会」は古い関所跡について、今の峰上の路より南東の方、頂上に松が二、三本ある辺りに関門の礎石があるという。氏照が八王子城を移した天正の初め頃関を設けたが、人家から遠い山中なので、天正八年今の場所に移したという。同一七年頃、高尾山別当がその手代を使って小仏峠の関所とみられる「富士関役所」の柵木などの用材を伐採するよう指示されている(五月一〇日「北条氏照朱印状」薬王院文書)。慶長一九年(一六一四)一〇月の「大坂御陣之節所々御番」として「武州小仏御関所御番」に高宮昌重が命じられた(土屋知貞私記)。その地は今より少し後ろで、元和二年(一六一六)今の地となり、翌三年道具類、弓・鉄砲、玉薬の箪笥、鑓・長持などを整えたという。東の番所入口に谷川の板橋があり、東西を門で固め、四辺に柵を結い回して大路一筋とし、ほかに小道一路もなかった。いにしえの道は河原宿かわらじゆくより金南こんなん寺の南の丘陵を巡らして関所前に出たという(武蔵名勝図会)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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