寿昌寺(読み)じゆしようじ

日本歴史地名大系 「寿昌寺」の解説

寿昌寺
じゆしようじ

[現在地名]騎西町鴻茎

鴻茎こうぐきのほぼ中央に位置する。曹洞宗、山号は万亀山。本尊阿弥陀如来。「風土記稿」に載る寺伝によると、もとは臨済宗で鎌倉長勝ちようしよう寺の末寺であった。仏灯の開創になる寺領七〇〇石の寺院であったが、永禄元年(一五五八)菖蒲しようぶ(現菖蒲町)の城主佐々木氏に攻められ寺領を奪われたと伝える。のち龍淵りゆうえん(現熊谷市)八世の明庵祖果が再興し、おし(現行田市)城主成田氏の外護を得たという。明庵は成田氏一族といわれ、天文一七年(一五四八)龍淵寺へ入院、永禄三年大蔵だいぞう(現熊谷市)へ隠居して天正八年(一五八〇)没した(「龍淵寺年代記」東京大学史料編纂所影写本)


寿昌寺
じゆしようじ

[現在地名]松浦市志佐町 里免

陣内じんのうちにある。不老山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊如意輪観音。康保四年(九六七)源完が台山を開山として創建したと伝え、志佐家代々の菩提寺として庇護をうけ、五町の寺領を寄進されていたという。文禄元年(一五九二)の志佐寿昌寺過去帳(松浦史料博物館蔵)がある。江戸時代には平戸藩から寺領四〇石を与えられていたほか、寿昌寺新田も開かれていた(「志佐物語」など)


寿昌寺
じゆしようじ

[現在地名]熊本市壺川一丁目

もとの新坪井寺原しんつぼいてらばるの西側中央、京町きようまち台の崖下(現在の新坂の下)にあり、山号は光源山(光顔山)遍照院と号し、浄土宗、本尊阿弥陀如来。「国誌」によれば、慶長二年(一五九七)加藤清正の家臣庄林隼人佐が亡母追福のために建立し、開山は信蓮社仰誉という。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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