密厳院跡(読み)みつごんいんあと

日本歴史地名大系 「密厳院跡」の解説

密厳院跡
みつごんいんあと

[現在地名]熱海市伊豆山

伊豆山にあった伊豆山権現(伊豆山神社)別当寺で、真言宗。源頼朝が治承四年(一一八〇)の挙兵前から帰依していたとされる文養房覚淵によって創建された(至徳年間「隆源置文土代」醍醐寺文書、以下断りのない限り同文書)。頼朝護持の祈祷を勤仕する目的で建立され、鎌倉時代は覚淵ののち覚誉―覚意―覚玄(足利泰氏子)―覚海(泰氏子)―覚兼―覚遍(泰氏孫)と東密僧が当院別当職を相承した(伊豆山密厳院管領系図)。覚意は嘉禄三年(一二二七)二月一二日、藤原頼経より密厳院の所職などを安堵され、所領には相模国柳下やぎした郷・千葉ちよう(現神奈川県小田原市)櫛橋くしはし(現同県伊勢原市)徳延とくのぶ(現同県平塚市)・武蔵国吉田よしだ(現埼玉県吉田町)・越後国国分こくぶん(現新潟県上越市)があった(「藤原頼経袖判下文」武家手鑑)。寛元元年(一二四三)五月二八日、後嵯峨天皇は密厳院領一〇ヵ所の勅事・国役を免除した(後嵯峨天皇綸旨案)。正応六年(一二九三)七月二九日、幕府は覚綱に譲与された密厳院および寺領などを罪科により没収した(「関東御教書」尊経閣古文書纂)。元弘三年(一三三三)六月四日、足利尊氏は密厳院領土佐国介良けら(現高知市)を同院代官に交付している(「足利尊氏御判御教書」吸江寺文書)。同年九月一四日、尊氏は顕潤を密厳院寺務職(別当職)補任(「足利尊氏御判御教書写」神宮徴古館所蔵文書)以後具海―隆舜―乗基―光済と継承された(前掲管領系図)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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