宮野中村
みやのなかむら
[現在地名]山口市大字宮野上の一部
宮野庄(宮野村)を分割してできた村の一つ。宮野庄の中央部にあり、北は宮野七房村、南は宮野恋路村・宮野桜畠村に接する。山口宰判に属した。
独立した一村としての高付は「注進案」以後であるが、それ以前の「地下上申」は宮野村のうちで別立して上申され、それによれば中村の総高は一千四二七石余。うち田方が七五町余で一千二七八石余、家数は一四五、人口四八一人。村内の小名として熊坂・堤・大山地・大藪・関屋があり、庄屋一人、畔頭三人がいた。なお小名の関屋は、建久六年(一一九五)の周防宮野荘立券文(上司家文書)中に「関屋里」とみえる所と思われる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報