宮腰往来(読み)みやのこしおうらい

日本歴史地名大系 「宮腰往来」の解説

宮腰往来
みやのこしおうらい

金沢城下から北西の石川郡宮腰町に至る直線道。初め本道は城下古道ふるみち町から石川郡二口ふたくち村へ出、桜田さくらだ村・示野しめの村を経て専光寺せんこうじ村に至る、のちの古道往来とほぼ同経路であった(金石町誌)。古道往来の称は新たに出来た宮腰往来に対して古道の意。天正一一年(一五八三)前田利家の金沢入部は宮腰から行われており(三州志)、右の経路をたどったものであろう。元和二年(一六一六)石川・河北かほく両郡の郡奉行滝与右衛門の差配により、金沢町域での寺院立地の再編、前田利家墓所のある野田のだ山に至る道の整備などとともに、九折の様相を呈していた旧宮腰道の直線化工事が行われた。金沢町端の広岡ひろおか町から宮腰町口の間に篝火をたき、これを日当てに縄張りがされたという(三壺記)。古道往来は二里六町(金石町誌)で、長田ながた村・二口村・若宮わかみや村・きた村・藤江ふじえ村・まつ村・畝田うねだ村・寺中じちゆう村を経て宮腰町に至る直線の宮腰往来は、基点の違いはあるが道幅二間・距離二里(正保四年「御領内諸方道程記」加越能文庫)、金沢武蔵むさしヶ辻から宮腰まで一里二四町四一間(文政三年「三州測量図籍」同文庫)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報