宮丸保(読み)みやまるほ

日本歴史地名大系 「宮丸保」の解説

宮丸保
みやまるほ

現宮丸町付近に比定される。「平家物語」巻七によれば、寿永二年(一一八三)五月一二日、能登国小田中こだなか(現鹿島町)の新王塚の前に陣取った木曾義仲白山本宮に寄進した神領として宮丸があった。なお延慶本「平家物語」には「石川郡西条内宮丸保」とあり、寿永三年五月源頼朝が平家追討のため、神主上道氏成の時、当保を白山本宮に寄進したとする所伝もある(「神官上道家系譜」白山比神社文書)。氏成の三男氏明が宮丸六郎大夫を名乗り、また正嘉三年(一二五九)四月二七日、神主職についたと伝える氏明の孫の氏頼が宮丸四郎と称しているところから、上道氏庶流の基盤が当保に存在したことがうかがわれる(同系譜)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報