宝積寺跡(読み)ほうしやくじあと

日本歴史地名大系 「宝積寺跡」の解説

宝積寺跡
ほうしやくじあと

[現在地名]鎌倉市山崎

山崎の天神やまざきのてんじん山のふもと、京浜急行電鉄有料道路に切断された宝積寺谷にあったと考えられる。臨済宗。円覚寺塔頭黄梅おうばい院末。「風土記稿」は暦応年中(一三三八―四二)夢窓疎石が山城国たから(現京都府乙訓郡大山崎町)を模して創建したとし、「鹿山略記」は夢窓疎石の弟子方外宏遠(貞治二年没)の開創とする。

方外宏遠の在任中、当寺は黄梅院八世心翁中樹に与えられたが、その後、他門へ売却され、再び心翁中樹門中へ還付された(年未詳一二月九日「徳翁中佐書状」県史三)

宝積寺跡
ほうしやくじあと

[現在地名]川之江市川之江町 亀島

享保六年(一七二一)の川之江村明細帳に「正八幡宮別当寺大岡山遍照院宝積寺」とあり、八幡神社と同じ境内にあったことが記されている。また八幡神社石鳥居(「慶安年中建之」とある)に刻まれている道源院法印応盛は宝積寺の僧であったとされる。真言宗寺院。江戸時代には別当寺として寺運盛んで、「役用記」の安政五年(一八五八)に「当社八幡宮普請之儀此節成就仕候ニ付、来ル三月二日遷宮仕度奉存候、(中略)八幡宮別当宝積寺」と八幡社の遷宮祭を宝積寺から願い出ている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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