宗我郷(読み)そがべごう

日本歴史地名大系 「宗我郷」の解説

宗我郷
そがべごう

和名抄」高山寺本・東急本ともに「宗我」と記し、高山寺本は「曾加へ」、東急本は「曾加」と訓ずる。「三代実録」貞観一〇年(八六八)閏一二月二一日条に「土左国無位宗我神並従五位下」とあるが、この社は現野市のいち町の宗我そが神社とされる。建久四年(一一九三)六月九日付で中原秋家が地頭に補せられた時の将軍家政所下文(香宗我部家伝証文)なかに「土左国香美郡内宗我部并深淵」と記されている。

土佐幽考」は「今香宗是也、中甲斐源氏末流領之、以香美郡之宗我目称香宗我部氏之為地名」とし、「日本地理志料」は「元禄検田帳、香宗ノ郷、管土居・須留(田)赤岡・中村・新宮・中山田・兎田・富家古川吉原・久枝ノ十一邑」と記すが、これは現野市町東南部、赤岡あかおか町、吉川よしかわ村と南国市の一部にわたる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報