安宅庄(読み)あたぎのしよう

日本歴史地名大系 「安宅庄」の解説

安宅庄
あたぎのしよう

日置川河口近く、安宅・久木ひさぎを中心とした地域に比定される。天福元年(一二三三)九月一二日付為清田畠下人去文(小山文書)に「安宅庄」とみえ、このとき荘内の「ハマタ一反・久木ノウチ五反六歩」が、不治の病にかかった身寄のない為清なる者から、看病を引受けた荘司四郎に譲渡されている。また文永三年(一二六六)五月二八日付後嵯峨上皇院宣(中村直勝氏旧蔵)に「那智山領富田・安宅・周参見三箇村」とみえる。南北朝時代の初めに安宅氏が当庄に在地し、一帯を支配した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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