日本歴史地名大系 「守富庄」の解説
守富庄
もりどみのしよう
- 熊本県:下益城郡
- 守富庄
緑川の南、
元久元年(一二〇四)兼実は譲与の所領について置文を定め、当庄の「年貢□用銭并雑事」をしばらく宜秋門院(兼実女任子、後鳥羽中宮)庁役に充てたが(同年四月二三日「九条兼実置文」九条家文書)、女院没後は惣領道家の進退となった。その後、道家は延応元年(一二三九)当庄所出物のうちから三〇〇石を大和国
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
緑川の南、
元久元年(一二〇四)兼実は譲与の所領について置文を定め、当庄の「年貢□用銭并雑事」をしばらく宜秋門院(兼実女任子、後鳥羽中宮)庁役に充てたが(同年四月二三日「九条兼実置文」九条家文書)、女院没後は惣領道家の進退となった。その後、道家は延応元年(一二三九)当庄所出物のうちから三〇〇石を大和国
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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