子生村(読み)こびむら

日本歴史地名大系 「子生村」の解説

子生村
こびむら

[現在地名]高浜町子生

笠原かさわら村の西に位置する。子生坂を越え南の川上かわかみ(現大飯町)へ至る。子生坂について「若狭郡県志」は「自子生村川上之山径也、其間一里余之行程也」と記す。また「子生村属木津庄、去小浜五里半許也、合桑加・中須・新谷福田・京末等而為子生村」とある。

子生村
こなじむら

[現在地名]旭村子生

鹿島灘沿岸の台地上にあり、南は勝下かつおり村。慶長七年(一六〇二)の御知行之覚(秋田家文書)に「こなぢ村」一〇七五・九石とあり、秋田氏領となるが、のち天領となり、幕末に旗本北条氏領となる(各村旧高簿)元禄郷帳には村高一五二石余と記されるが、その後の荒野開発の結果、天保郷帳では一八〇石余と増加する。飯沼いいぬま街道沿いにあるため往来客で賑い、「大原幽学道中記」天保五年(一八三四)九月に「一同名残りを惜んで立つ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報