威徳院跡(読み)いとくいんあと

日本歴史地名大系 「威徳院跡」の解説

威徳院跡
いとくいんあと

[現在地名]稲沢市国府宮町 大宮

尾張大国霊おわりおおくにたま神社境内にあった神宮寺。国府山と号し、真言宗長野万徳ながのまんとく寺末であった。本尊不動明王。国分寺の一院で恩徳おんとく寺と号し(府志)、神領に恩徳寺とよぶ田があったと伝える(塩尻)。空海が再興し神仏習合となり神社の別当となったが、火災で焼失(徇行記)。天文四年(一五三五)僧真海が再建。慶長五年(一六〇〇)関ヶ原出陣の時、威徳院大津長太夫が下津おりづ村へ出かけ徳川家康祈祷の符と枝柿を献上した。正保三年(一六四六)主僧政祐の勧進で神社の南楼門を造立、寛文八年(一六六八)真慶の時、威徳院・大津和泉の願いにより、神社釣殿・祭文殿・回廊・玉垣・拝殿・清門・鳥居が修理された(同書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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