天神前(読み)てんじんまえ

日本歴史地名大系 「天神前」の解説

天神前
てんじんまえ

[現在地名]高松市天神前・中央町ちゆうおうちよう亀岡町かめおかちよう番町ばんちよう五丁目

城下町最南端の武家屋敷。北は八番はちばん丁、南は旅籠はたご町、東は中新なかじん町で、中野なかの天満宮の東側から南側にかけて形成された。この地はもと香川郡なかノ村に属し、寛永一五年(一六三八)生駒高俊が中野天満宮を紫雲しうん山北東麓から移築したことから天神前とよばれた。「讃州府志」に「城外ヲ外町ト曰、一条ヨリ八条ニ至ルオ番町と云、千石町ノ後、浜町、天神前(中略)皆大臣諸老元士の宅也」とあり、城下の武家屋敷中に天神前の地名をあげる。「続々讃岐国大日記」には安永元年(一七七二)二月一七日「天神前横倉氏大逸火、会大風、其火及田坊・茶屋・藤冢」とあり、延宝三年(一六七五)松平頼重が中ノ村に別邸(のちの大護寺・実相寺地、現明善高等学校付近)を造営、隠居したが(増補高松藩記)、この頃から武家屋敷の形成が進んだと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報