大鳥郷・大鳥庄(読み)おおとりごう・おおとりのしよう

日本歴史地名大系 「大鳥郷・大鳥庄」の解説

大鳥郷・大鳥庄
おおとりごう・おおとりのしよう

堺市の南西部石津いしづ川左岸一帯から高石たかいし市の北部に比定される。古代の大鳥郷(和名抄)を基として平安後期以降、国衙領大鳥郷の展開があり、鎌倉末期までその存在が確認される。平安末期には郷内に摂関家大番領(保)が雑免田として散在的に設置され、さらに鎌倉期前半には北白河院領(のち室町院領)として大鳥庄が成立した。

〔大鳥郷と刀〕

寿永三年(一一八四)二月一六日付の摂政藤原基通家政所下文案(田代文書、以下同文書については個別文書名のみ記す)によると、この頃大鳥郷一帯に源平争乱にかかわる武士の逗留があり、摂関家殿下方大番舎人の松近・重富・友貞・宮永らが住宅追捕や妻子牛馬追取などの狼藉を被ったことが知られる。この事件は兵衛尉忠信(源義経の郎等佐藤四郎兵衛尉忠信か)代官を称する大鳥郷司の活動の一つで、その濫行は度重なる国司庁宣にもかかわらず繰返され(元暦二年二月二五日和泉国司庁宣案)、元暦二年(一一八五)二月摂政家は被害者である舎人松近・友貞・重富・重恒・武恒らの番役勤仕および名田耕作などの安堵を図るよう在庁官人らに下文を出している(同月二九日摂政藤原基通家政所下文案)。大鳥郷内の殿下方大番舎人は前出六名のほか、建仁二年(一二〇二)四月一五日の摂政家政所下文案には友貞・松近に加えて武道・武末・吉宗の五名がみえ、計九名が確認される。彼らは在地における有力名主であるとともに、友貞・松近ら五名は大鳥・草部くさべ両郷村々の刀禰職を相伝し、国衙公権の末端を構成していた。

建久七年(一一九六)六月、和泉守平宗信は収納使の沙汰として大鳥郷司職の公事勤仕および大鳥郷浦の知行を留守所に命じ(同年六月日付和泉国司庁宣案「徴古雑抄」大鳥郷文書)、それを受けた留守所は同年七月大鳥郷刀禰百姓に同趣旨の下文を下した(同月四日「和泉国留守所下文案」同文書)。また建永元年(一二〇六)九月、大鳥社神人らが大鳥郷浦白浜を大鳥神社の祓戸であるとして安堵を求めた際、その訴状に証判を加えた郷内刀禰として惣刀禰藤原のもとに村刀禰高志、野田のだ村刀禰大和、なか村刀禰坂上、高石たかし(現高石市)刀禰殿来(木)の名がみえる(同年九月日「和泉国大鳥社神人等解案」同文書)。平安末以降開発されてきた郷内別名の村々はこれら有力名主たる刀禰層によって管理され、国衙の統制下に置かれていたと思われる。建仁元年一一月、日下部くさべ(草部)郷収納使長慶の指示を受けて、尊恵・正方(取石権守)・為則らは大鳥・日下部両郷村々の刀禰職を押取った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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