大隈城跡(読み)おおぐまじようあと

日本歴史地名大系 「大隈城跡」の解説

大隈城跡
おおぐまじようあと

[現在地名]吾妻町阿母名

中世の城館の跡。大熊城・くまの城ともいう。保安三年(一一二二)の宇佐宮領高来郡油山十二箇所立券文(宇佐大鏡)にみえる「大隈」は当地と考えられ、楠村山(現国見町神代か)西境に位置している。応安六年(一三七三)七月九州探題の今川了俊が派遣した子息満範の率いる軍勢が「神代大隈」に陣を構えたとされ(同年九月日「深堀時広軍忠状」深堀文書)了俊および少弐頼泰の軍勢が神代こうじろ(現国見町)・大隈城を攻めたと伝える(北肥戦誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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