大野郷・大野庄(読み)おおのごう・おおののしよう

日本歴史地名大系 「大野郷・大野庄」の解説

大野郷・大野庄
おおのごう・おおののしよう

和名抄」にみえる築城ついき郡大野郷の郷名を継承した中世の郷庄。大野八幡神社がある現築城町築城字なかはる付近から椎田しいだ町西部一帯に比定される。「宇佐大鏡」に宇佐宮の国々散在常見名田として「大野郷」二三〇町余がみえ、半不輸領であった。大野郷の一部は仁平二年(一一五二)伝法寺でんぼうじ庄の立庄時に同庄の加納に組入れられたが、残部は安元元年(一一七五)九月に宇佐宮御炊殿一院造営料所として不輸の大野庄となったという。文治四年(一一八八)二月日の海四子解(益永文書/鎌倉遺文一)によると、「大野庄内恒富名田」は宇佐宮縫殿海四子の母高倉殿御局によって下作職を保留して末久御領(宇佐大宮司公通が立てた仮名)に寄進された。ところがこの下作職に対し、別府種澄は下作人金蓮坊の負物の代、また城井恒俊は出挙の代などと主張して濫妨してきた。

大野郷・大野庄
おおのごう・おおののしよう

「和名抄」苫西とまにし郡大野郷の郷名を継ぐか。東・西両郷(庄)分立もみられるが、史料上に円宗寺えんじゆうじ土居どいなどがみえるので、現鏡野町南東部の香々美かがみ川流域に推定され、香々美庄の南隣に位置していたと思われる。寛喜二年(一二三〇)八月一三日、長沼宗政から嫡子時宗に譲られた地に「西大野保内円宗寺」がある(「長沼宗政譲状」皆川文書)。その後も円宗寺は長沼氏に相伝されたと思われ、応永二〇年(一四一三)六月二五日の長沼義秀譲状(同文書)で嫡子満秀早世のため孫の憲秀に円宗寺上中下三ヵ所の地頭職が譲られている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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