大見武村(読み)うふんちやきむら

日本歴史地名大系 「大見武村」の解説

大見武村
うふんちやきむら

[現在地名]与那原与那原よなばる

与那原ゆなばる村の西にある。ウフンチャキ村とよぶ。絵図郷村帳に島添大里しましーうーざとう間切「大ミたけ村」とみえるが、琉球国高究帳には記載がなく、「琉球国由来記」には大里うーざとう間切大見武村とみえる。高究帳では与那原村の高頭四八〇石余に含まれていると思われる。間切集成図には首里から南風原ふえーばる間切を経て当村の前を通り、与那原村に至る道筋が描かれている。大里間切と北側の西原にしばる間切にまたがって「おんたまおかミ山」が描かれる。道光二二年(一八四二)には前述の道筋が大里と首里の百姓らによって整備された(「球陽」尚育王八年条)。咸豊一〇年(一八六〇)人数が増えたことを理由に手良佐原に移った(同書尚泰王一三年条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android