大物町(読み)だいもつちよう

日本歴史地名大系 「大物町」の解説

大物町
だいもつちよう

[現在地名]尼崎市大物町一―二丁目

尼崎城の北東、大物川を挟んで辰巳たつみ町の北西方に位置する。東部を中国街道が通り北端の北口御門に至る。中世から京都と瀬戸内海を結ぶ重要な湊町(→大物・大物浜着船ちやくせん橋付近を中心に町場化した(尼崎市史)。戸田氏の築城以前には町の西に広徳こうとく寺・栖賢せいけん寺があった。町の東側、着船橋の北にの者屋敷と侍屋敷、西側の田畑西ノ町の一部が侍屋敷。戸田氏入部当時の本地子一八八石余・取米九四石余、城下町として整備のために六石余の引高となった。寛永一三年(一六三六)青山氏の新屋地子改により一石余が本地子に繰入れられ、上納八九石余となった(同書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android