大森氏(読み)おおもりうじ

改訂新版 世界大百科事典 「大森氏」の意味・わかりやすい解説

大森氏 (おおもりうじ)

中関白藤原道隆の子孫親家が駿河国駿河郡大森(現,静岡県裾野市)に住し,大森氏を称したという。1416年(応永23)上杉禅秀の乱で難をさけた鎌倉公方足利持氏を,大森頼春と弟36世箱根権現別当証実がかくまい,鎌倉復帰を助けた。その功により,持氏から禅秀方の土肥・土屋両氏の旧領を与えられ,相模小田原に築城した。これ以後大森氏は,相模西部を支配する有力武士として着目されるに至った。古河公方足利成氏(しげうじ)討伐のため,頼春の子氏頼,その子実頼に対し,将軍足利義政は御内書(ごないしよ)を送っている。氏頼は,姻戚関係にあった扇谷上杉氏の定正を助け,長尾景春,次いで関東管領山内上杉氏の顕定と戦い,94年(明応3)没した。実頼は早世したので,次子藤頼が継いだが,翌95年に北条早雲のため小田原城を奪われた。藤頼の子孫と称するものが徳川氏に仕え,旗本となっている。
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世界大百科事典(旧版)内の大森氏の言及

【御殿場[市]】より

…古代の横走駅が置かれた地とされる。古代末から中世にかけて伊勢神宮領大沼鮎沢御厨(みくりや)の内にあり,鎌倉幕府の御家人大森氏一族が強大な勢力を誇っていた。戦国時代には今川氏の勢力圏に入り,大森氏の一族葛山氏が深沢城に拠って支配したが,今川氏滅亡後,後北条氏と武田氏の抗争の舞台となり,1571年(元亀2)深沢城は武田氏の手に落ちた。…

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