大森兵蔵
没年:大正2.1.15(1913)
生年:明治9.3.14(1876)
明治時代の体育家。東京YMCA初代体育主事。バスケットボールの紹介者。岡山県生まれ。明治34(1901)年渡米,スタンフォード大学で経済学を学ぶが,スプリングフィールドの国際YMCAトレーニング・スクールに転学,体育学を学んだ。米国女性と結婚,41年帰国。44年,嘉納治五郎らと共に大日本体育協会を創設。翌年,日本初参加の第5回オリンピック・ストックホルム大会に選手団監督として参加。帰途,米国で肺結核が悪化,カリフォルニア州パサディナで死去。<著作>『オリンピック式陸上運動競技法』<参考文献>水谷豊『白夜のオリンピック―幻の大森兵蔵をもとめて―』
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大森兵蔵 おおもり-ひょうぞう
1876-1913 明治時代のスポーツ指導者。
明治9年3月14日生まれ。スタンフォード大をへて,国際YMCAトレーニング学校で体育学をまなぶ。明治41年妻アニー(日本名は安仁子)をつれて帰国。バスケットボールをはじめて日本に紹介し,44年嘉納治五郎らと大日本体育協会を創設。日本が初出場したストックホルム五輪の選手団監督をつとめたが,帰国途中の大正2年1月15日アメリカで病死。38歳。岡山県出身。
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おおもりひょうぞう【大森兵蔵】
1876‐1913(明治9‐大正2)
近代スポーツ競技の紹介者,指導者。1905-07年,アメリカ・マサチューセッツ州の当時の国際YMCAトレーニング・スクールで近代体育・スポーツの諸分野を学び,08年に帰国。東京YMCA体育部の初代主事に就任し,“発祥の地”で体験してきたバスケットボールとバレーボールを初めて本格的に日本に伝えた。さらに,在米中に結婚していた夫人のアニーとともに私財を投じてセツルメントハウス〈有隣園〉を開き,社会福祉活動でも貢献。
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世界大百科事典内の大森兵蔵の言及
【バスケットボール】より
…しかし,彼が卒業後日本に紹介した記録はない。1908年,国際YMCAトレーニング・スクールで学んで帰国した大森兵蔵が東京YMCA体育主事となって初めて本格的に伝えた。ところが,彼は13年にアメリカで客死したので,発展の端緒を開くまでには至らなかった。…
【バレーボール】より
…さらに,1988年に日本を発祥地として始められたソフトバレーボール(ソフトバレー)は94年のワールド・シニアゲームで初めて紹介されてから世界的な普及を見せ,アメリカ,韓国,台湾,シンガポール,インドネシア,マレーシアなどでの人気が高い。
[日本]
1908年アメリカのマサチューセッツ州スプリングフィールドの国際YMCAトレーニング・スクールで学んで帰国し東京YMCA体育主事となった大森兵蔵が,初めて日本に紹介した。しかし彼は13年に死去したため本格的普及には至らなかった。…
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