大東流合気柔術(読み)だいとうりゅうあいきじゅうじゅつ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大東流合気柔術」の意味・わかりやすい解説

大東流合気柔術
だいとうりゅうあいきじゅうじゅつ

平安時代末期の清和源氏の流れをくむ新羅三郎義光流祖とする武田一族に伝わる武技。滋賀の大東の館で育ったのでこの名称がある。甲斐の武田国次が天正2 (1574) 年会津の蘆名家の地頭就任,以後歴代会津領主の蒲生氏郷加藤嘉明,保科正之らに順次仕えて,「合気の術」として 500石以上の上士にのみ教えた御留業 (おとめわざ) であった。明治以後武田家の末裔武田惣角 (そうかく) はよくこれを伝承し,明治末年北海道に移住して多くの門弟を育てた。和歌山県人植芝盛平は北海道に入植中入門して惣角にこれを学び,大正末年東京に居を移し,合気柔術を合気武道,さらに合気道と改称して普及発展させた。

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世界大百科事典(旧版)内の大東流合気柔術の言及

【合気道】より

…広義には,古流柔術の一派大東流合気柔術を源流とする〈合気〉の名を冠する日本武術をいう。狭義には,同流修行者の一人植芝盛平によってまとめられた形(かた)(約束練習)による練習法と,その解釈を指すことが多い。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」