大方郷(読み)おおがたごう

日本歴史地名大系 「大方郷」の解説

大方郷
おおがたごう

和名抄」高山寺本・東急本ともに「大方」と記し、訓を欠く。正応二年(一二八九)五月日付の前摂政一条実経家政所下文(「蠧簡集」所収金剛福寺文書)に「大方郷内浦国名田口壱町」とみえる。「土佐幽考」は「今入野是也、天正年中秦氏地検帳題当郷本村、為入野大方郷、当村有寺号大方山長泉寺、又此海謂大方渡」とし、「日本地理志料」は「亘大井川・橘川・馬荷・御坊畑・上田口・下田口・田野浦・出口・伊屋・入野・加持・加持川・奥湊川・口湊川・蜷川白浜・伊田・有井川・上川口・浮鞭ノ二十一邑、曰入野郷、是其地也」とする。

大方郷
おおがたごう

「和名抄」にみえるが訓を欠く。「下総旧事考」は「大生郷村是ナルベシ。猶岡田郡ノ中間ニアル原ヲ。大形原ト云ヘバ。大方郷ノコトナルベシ」として大生郷おおのごう(現水海道市)付近に比定。しかし「続日本紀」神護景雲二年(七六八)八月一九日条にみえる鬼怒きぬ川河道付替えによって廃川となった旧河道が干潟となったため「大潟郷」となったともいわれ、現結城郡八千代町北部とする説もある。「将門記」には承平七年(九三七)八月のこととして「将門ハ(中略)同郡(豊田郡)ノ下大方郷堀越ノ渡ニ陣ヲ固メテ相待ツ」とみえているが、堀越ほりこし渡は現八千代町仁江戸にえどに比定されるので、大方郷域は八千代町北部と考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報