大所村(読み)おおところむら

日本歴史地名大系 「大所村」の解説

大所村
おおところむら

[現在地名]糸魚川市大所

ひめ川支流の大所川中流、木地屋きじや川が合流する付近にある国境の村。信濃安曇あずみ来馬くるま(現長野県北安曇郡小谷村)へは、古くは姫川大網おあみ橋を渡って通じていた。村の草分は信濃国仁科氏の重臣山岸豊後守と伝える。村の入口字ホトケの墓群中に正保四年(一六四七)銘の「山岸豊後守塔」の石碑がある。豊後守は信濃の小谷七騎の一人で、弘治三年(一五五七)拠点であった平倉ひらぐら(現小谷村)陥落後、当地に居住するようになったと伝える。享保九年(一七二四)編述の「信府統記」に「平倉城落城シテ小谷武田晴信ノ手ニ入テヨリ、七騎ノ内六騎ハ武田ヘ属シ(中略)残テ一人ハ山岸豊後ト云シ者、平倉落城ノ砌ヨリ越後ヘ属シテ、今越国大所村ト云フ所ニ其子孫居住セリ」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報