大場茂馬(読み)おおばしげま

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大場茂馬」の意味・わかりやすい解説

大場茂馬
おおばしげま
(1869―1920)

刑法学者。明治2年11月17日、山形市に生まれる。東京法学院(大場の在学中に英吉利法律学校から改称。中央大学の前身)を卒業後、判事(1913年大審院判事となり、翌年辞職)、弁護士などを務め、1915年(大正4)に衆議院議員となったが、1920年の選挙で落選し、同年死去した。

 1905年(明治38)から1908年までドイツ留学した。当時のドイツでは、「刑法学派の争い(新旧両派の争い)」で激しい論争が展開されており、旧派(古典学派)のビルクマイヤーKarl von Birkmeyer(1847―1920)に学んだ大場は、その理論を日本に紹介し、その後、日本において旧派を代表する刑法学者として客観主義刑法理論を詳細に展開しつつ、牧野英一に代表される新派刑法学と全面的に対決しようとした。著書には『刑法総論』(上下巻)および『刑法各論』(上下巻)などがある。

[名和鐵郎]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大場茂馬」の解説

大場茂馬 おおば-しげま

1869-1920 明治-大正時代の法学者。
明治2年11月生まれ。26年弁護士となり,ついで地裁の判事や検事をへて,刑法研究のためドイツに留学。大正2年大審院判事,4年衆議院議員となる。指紋法の実施などに貢献した。大正9年12月30日死去。52歳。羽前(うぜん)(山形県)出身。東京法学院(現中央大)卒。著作に「刑法総論」など。

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